いじめ問題、そして学校
今まであまり関係ないと思っていた「いじめ」問題
中学生の自殺や、テレビでみるいじめの実態などを見ると
同じ子供を持つ親として、他人事ではない。
いじめは最近出てきたものではない。昔からあった。
私自身、直面して悩んだ覚えはないが、
中学生の多感な時期は、グループに入るだの出るだの
いろいろな揉めごとがあったのは確かだ。
ただ私は、基本的に“一人”がいやじゃない。
休み時間、トイレに一緒に行ってくれる人がいようがいまいが
苦にはならないタイプだった。
不良と呼ばれる人たちにも、ウマの合う子とは付き合ったし
地味なグループの子や友達がいない子とも付き合った。
つまり、中学生の頃も今も変わらないのだが、
人の目はあまり気にならないタイプだから、
年上の不良グループから目をつけられ、
学年中で総スカン(・・・って言ってたっけ??)になった子も
好きな子は好き、すぐに友達になった。
グループなんかどうでも良い話だった。
そんなこともあったからか、「影バン」の噂もあったらしい(^^;)
だから、いじめられたという記憶はない。
小学校に入ったころ、冗談で幼なじみの靴かくして
泣かれた記憶がある。
これもいじめの一種か・・・(笑)
私が小学校3年のとき、
父の転勤で福岡から京都に転校した。
言葉(方言)も違うし、校風も違う。
幼い私は比較的早く馴染んでいったが
5年生の姉は、ひどいいじめを受けていた。
覚えているのは地域の子供が集まる分団会。
長を務めていた姉が、つまらないことで総攻撃を受け
泣いて帰った。
3年生の私も、お姉ちゃんがいじめられたことが
悲しくて悲しくて、泣いた記憶がある。
あの時、教室には誰がいたのか?
先生がいた。
そして先生も、お姉ちゃんが悪いようなことを言った。
誰もかばってはくれなかった。
私は現場(学校やいじめの現状)を知らないから、
何も言うことはできない。
ただ、少しだけ感じていることを書いてみたいと思う。
今日の朝、いつものように「読み聞かせ」に行って来た。
各教室に入り、15分間ほど絵本を読む。
たったそれだけだけど、
なんとなく学級の雰囲気が伝わってくる。
今回のクラスは、ひまわり(6歳)と同じ1年生。
とても厳しい生徒を威圧するような叱り方の男の先生だった。
先生が問題だ、とは思わない。
家も、学校も問題。
共に解決するという意識がなければいけないのに
テレビで報道される話を聞いていると
どちらもが責任の擦りあいをしているようにしか聞こえない。
そのなかで犠牲になるのは、「子ども」なのだ。
今の子供たちは、もっともっと否定に強くなって
いじめに負けない自分を作っていかなければいけない。
もちろんその背景には、
どんなことがあっても裏切らない親(家族)と先生の支えがいる。
いじめられる子も悪い、というのは賛成できない。
善悪の判断基準がおかしくなっているのか?
いじめる子が悪い、に決まっている。
例外はない。
子供の教育を担っている機関、家庭が
各分野で協力して子供を育てる。
親ができないことを学校でやり
学校でできないことを親がやる。
教育こそが、輝かしい未来をつくる根本だと私は思う。
そう、私も子育ては始まったばかり・・・
さっきの「読み聞かせ」の話。
【いまなんじ】という時計の絵本だった。
1年生のクラスで「とけい習ってるよね?」と聞くと
先生が「今は1年ではやらないんです」
えっ!?なんで?
1年生くらいになったら、時計を読む力は十分ある。
教えればすぐ読めるようになる、理解力もある。
でも、教えないのね・・・
学校の教科書、絵ばっかり。
これじゃ、印刷代もかかるよねぇ(笑)
“公立の学校に行っていると塾に行かずにはいられない”
絶対におかしい。
ちょっとした理由で、
人を殺してしまったり、自分を殺してしまう・・・
そんなことを「時代」のせいだけにしてしまっていいのだろうか